相模原総合補給廠から軍用車両が搬出される際の様子(1972年9月19日、相模原市提供)
朝日新聞デジタルの戦車闘争50年の記事から引用
8月6日(土)から3日間、相模原市立産業会館(中央区中央)で開催!
1972年に、米軍施設「相模総合補給廠」で起きた、ベトナム戦争のために搬出される戦車を市民が「止めた」活動、いわゆる「戦車闘争」、50年が経過したことを機に、8月6日(土)から3日間、当時の様子を振り返る写真展が開催されます。
開催日
2022年8月6日(土)~8日(月)
時間
8月6日(土) 午前11時~午後7時
7日(日)、8日(月) 午前10時~午後7時
会場
相模原市立産業会館
(中央区中央、市民会館横))
入場
無料
主催
相模補給廠監視団
展示品
監視団メンバーらが撮影した闘争の様子の写真計約100点
当時配られたビラ、新聞スクラップ、補給廠の現況写真と模型、地図など。
当時の様子を約60分にまとめたビデオもリピート上映されます。
写真は相模補給廠監視団、あるいは市の所蔵です。
戦車闘争とは
1972年8月5日、ベトナム戦争の戦地へ向かおうとしたM48戦車は、横浜市神奈川区の村雨橋で戦争反対運動をする市民によって立ち往生となった。戦車はその後、米陸軍相模総合補給廠へ引き返すことを余儀なくされた。それからおよそ100日間、戦車は補給廠から出ることができなくなる。全国から集まった市民、労働者、学生らが補給廠の正面ゲート「西門」にテントを張って居座り、平和を求め「戦車搬出阻止」を訴え続けた。これが「戦車闘争」と歴史に名を残す政治闘争だ。
【タウンニュースの記事から引用】
Wikipediaの戦車闘争の情報はこちら☟
戦車闘争に参加した沢田政司さん(監視団のお一人)の話
「大学の友人に誘われて初めて相模原を訪れました。当時はベトナム戦争が終わりを迎える時期で学生運動をする仲間が多く、デモなどへの参加はそれほどハードルが高いものではありませんでした」。
当時、西門前の緑地帯には戦車の搬出を止めようと政党や学生団体による複数のテントが張られた。夜になると夕涼みを兼ねてか、多くの市民が「見物」に訪れたそう。ただ、9月になると5000人の警官が動員されテントの撤去が始まった。沢田さんも警官に取り囲まれ横山公園まで連れて行かれたそう。そして11月8、9日、装甲車に続きM48戦車の搬出が強行された。およそ100日間続いた闘争はこれを境に一気に収束していく。
相模原で戦車闘争があったことを知る機会は、とても貴重です。
50年を機会に開催される写真展、出かけてみませんか!
問い合わせ
相模補給廠監視団
☎ 042-756-9460
この記事は、朝日新聞、タウンニュースの以下の記事を参照しています。
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